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        人類の未来に対する4人の提言 (IOMR Proposal)


                            01/08/2018

はじめに

(4人の普通の市民による提言)
1, 我々4人は、インド人、日本人、ポルトガル人の、普通の市民です。チダンバレーサ・アイアー(93歳)は、インドのチェンナイに住む元インド国鉄の技術者です。マリア・ラムヤ(30歳)は、インドのチェンナイに住む主婦です。大木邦夫(70歳)は、日本の千葉県に住む元県庁職員です。マリア・ラーセン(56歳)は、ポルトガルのリスボンとイギリスのロンドンで、ピラティス(ヨガに似た健康体操)の教室を開いています。我々4人は、特別の権力や力を持たない、普通の市民ですが、ここに、私たちの住む世界を真の繁栄に向けて進展させるための提案を、共に考え、公表することにしました。

(自分の所有物を分け与えるということ)
2,  私、チダンバレーサ・アイアーは、最近、3歳くらいの女の子が、母親からもらったお菓子をベンチに座って食べているのを見ました。そこに、同じくらいの年頃の女の子がやってきて、彼女の横に座り、彼女がお菓子を食べているのを見つめていました。すると、後から来た子が、少しちょうだいと手を伸ばす前に、お菓子を食べていた子は、その子にお菓子を分け与えました。そして二人とも満足して食べていました。私はそれを見て、この自発的な分け与えは、人間の心に潜んでいる自然な反応ではないかと思いました。私は、もっと成長した子供が、同じような反応を示すかどうかはわかりません。多分そういう行為は徐々に失われていくでしょう。  
 そこで私は考えはじめました。何がお菓子を分け与えた女の子の反応を引き起こしたのかと。それは、もともと我々人間に備わった接し方ではないのか。女の子は、横に座っている子に援助の手を差し伸べるために、彼女のお菓子の一部を分け与えたのではないでしょう。もっと人間に本来備わった、自然な行為ではなかったかと思います。すなわち、我々は誰でも最初は、この女の子のような素質を持っていたのですが、成長するにしたがって、占有意識が我々の心を覆ってくるのです。私は、人間に授けられた五つの感覚よりも少ない感覚しか持たない、鳥や動物たちにも、同じような分け与えの感覚を認めます。そこで考えました。このような分け与えの感覚は、我々が生まれた時に自然が我々に教えたものであり、また我々が大人になるにしたがって、そのような自然の恵みを忘れるようになるものだと。どうしてなのか?この疑問が、私たちが今回この提案をするに至ったきっかけの一つでもあるのです。

(現代の私的生活の壁)
3, 現在、世界中を見渡しても、そのような分け与えの感覚が社会に反映されているのを見ることはできません。我々は、自力でなんとかやっていこうとします。またそれができるのは、様々な便利な施設や富の恩恵に預かっているからです。例えば、健康で良い環境に恵まれ、十分な富と快適な生活が保証されているからです。我々はそれら豊富な施設や設備を我々の親類縁者と享受し、そして自分の子や孫たちに それらを残すことができます。しかし我々は、そんな幸せな生活に預かれない人たちに、それらを分け与えようとは思いません。その上、将来に向けて自分の子孫の繁栄のために、さらなる快適さや利便性を追求しようとします。多くの人々は、それが当たり前だと思っているのです。今の自分にとって過剰な富や施設を家族や親類縁者以外の他者に分かち与えようとする考えは、思い浮かびません。
 もちろん、今までも少数の人々は、自分の親類縁者や友人でもない他者を援助するために、自分の富を分け与えたり、彼らのために働いたりすることができました。しかしながら、我々の現在の社会的な体制は、決してそれがたやすくできるシステムではありません。したがって、真に他者を援助する人々は、それらのシステムと戦い続けてきました。

 

(貧富の差の深刻さ)

4, 我々は、所有物や財産に関する我々の考え方を拒絶しようとは思いません。我々人類は、今まで私有財産制に守られて、また、家族、地域社会、国家という境界に守られて、戦い、富を蓄積し、それぞれ繁栄を築き上げて来ました。しかし、今や、我々は、今まで築き上げて来た十分な富を、現在の世界の深刻な貧富の差を効率的に解消するために、再分配する時期に達したのではないかと思うのです。

(我々の小さな声、しかし大いなるヒューマニティーとして)

5, 我々4人の声は、巷で様々な権力が声を荒げる喧騒の渦に対して、とても非力です。しかし我々の小さな声は、この地球に住む者として、大いなるヒューマニティーに支えられており、決して多くの人にとって、無視して葬り去ることのできないものだと思っています。我々の提言の目指すところは、我々の将来の世代のための安全とそのために協力し合う世界です。そのためには、今のように、特定の国の利害に影響されることのない、国際機関が必要です。さらに、私達は、人道主義に基づいてニュー・モデルを提案することができるし、個々のプロジェクトと援助プログラムのためにそれが近い将来必要とされるかもしれません。

 

   Ⅰ 今日の我々の世界

   (グローバリズムの光と影)

1, グローバリズムの急速な進展は、現代世界を特徴づける現象です。多国籍企業や複合的巨大企業は持続的なより多くの利益を獲得するために、世界中で安い労働力や天然資源を求めて、互いにしのぎを削っています。同時に、インターネットの普及によって、情報社会は、世界の隅々にまで広がっています。このような現象は、世界各地に散らばった情報を瞬時に知ることができると同時に、我々の社会に本来備わっている地場産業や地域的な結束が急速に衰退していることを示しています。さらには、先進諸国や発達途上国に関わらず、過酷な労働による死亡や職場における自殺やうつ病が増加しています。何故ならば、労働者たちは、朝早くから夜遅くまで、企業のために、過度の緊張を伴って働かざるを得ないからです。現在の多くの国々は、このような苦境を知ろうとしないか、あるいはそれを解消しようとするための法律を作ろうとはしません。


 (貧富の差の拡大)

2, 貧富の差の拡大は、グローバリズムの進展に伴いもたらされた最も深刻な問題です。テロや難民の問題に関しても、その根底には、貧困から逃れることができない多くの人々の存在があります。また、貧しい国の多くの若者は、働き場所もありません。東アジアや、アフリカ、南アメリカの一部の国では、麻薬が収入源になっています。また、豊かな先進諸国でも、貧富の差は広がっています。そこでの貧しい人々は、難民の流入によって、彼らの仕事が奪われるという危機意識を抱いています。それゆえ、排外主義的な勢力が、多くの国で台頭してきています。  

 貧しい人々は、いつまでも貧しいままです。他方で、世界中の裕福な人々は、贅沢な生活を送り続けています。その結果、彼らは過度な食事から、癌、糖尿病、高血圧、腎臓病などの病気を患っています。反対に、アフリカ諸国での子供達の栄養失調は、人道的にも緊急の問題となっています。  

 このような状況にあって、残念ながら、多くの人々は、このグローバル化した大衆消費社会で、お金を得ることによる満足を獲得しようと絶えず格闘しているのです。


(深まりゆく環境問題)

3, 環境問題も世界中で深刻な問題となっています。地球温暖化による、頻発する異常気象や海面上昇への対策も緊急の課題となっています。大気汚染や核燃料廃棄物は、利益を優先する企業社会が生んだ、負の側面です。また、開発途上国における壊滅的な森林破壊などの自然破壊は、主に企業による世界規模での天然資源の争奪に起因するものです。
 しかしながら、我々の日常生活に関わる環境問題では、3Rの環境思想(Reduceゴミの発生抑制、Reuse再利用、Recycle再資源化)が徐々に広がりを見せ、教育レベルでの普及が始まっています。それでも、多くの企業は、このことに対して政府が乗り出さない限り、特別の出費を支払おうとはしません。

(地球規模での様々な危機に対処できない国連)

4, このような世界規模での諸問題に対処するための国際組織も、大国の利害に影響されて、思うように機能していません。世界中で起きている宗教的、民族的、国家的な対立と混乱に関して、国連のような国際機関は、解決の糸口を見出せません。国連は、拒否権を持つ常任理事国、特にアメリカ、ロシア、中国の同意を得ることなしには、何も行えません。どういうわけか、他のすべての国は、この第二次世界大戦の遺物に押さえつけられています。アメリカ、ロシア、中国の政治的支配者たちは、この拒否権によって、彼らの影響力を及ぼす地域の形成に食指を動かせているのです。 

 他方で、本来域内国家の廃絶を将来的に目指すべきEUは、域内国家と経済共同体との妥協の産物になってしまっています。このような国際的あるいはヨーロッパ域内での連合組織の行き詰まりにあって、保護主義的あるいは右翼的な勢力が力を増しています。このような状況下では、テロや難民問題の解消や 核兵器廃絶社会の実現は、今まで以上に困難になってきています。

 


   Ⅱ 今、何をなすべきか

(ガンジーのシンプルライフ)

1, 以上述べたような今日の世界の危機的な状況を克服するために、我々は何を考え、何をなすべきなのでしょうか。我々は、世界中の市民は、世界中の貧富の差の解消に向けて努力すべきだと思います。我々は、深刻な貧困の状況下で、 人類のより良い未来について議論することはできません。同時に我々は、贅沢な生活の中で、人類のより良い未来について議論することはできません。
 ガンジーは言いました。 世界中のすべての人々の必要なものを満たす十分な富がこの世には存在する。しかし、すべての人々の貪欲を満たすに足る富は存在しない。彼はまた言いました。もし、世界中の人々が、資本主義先進諸国と同じような生活を楽しもうとするならば、この世に地球が4個あっても5個あっても足りない、と。我々は、人類の未来を考えるとき、いつも彼のこのような言葉を思い出します。もし、人々がシンプルライフを送ろうとするならば、この地球上にはすでに十分な富が蓄積されているのです。しかしながら、地球上の富は、一部の人々の楽しみのために使われています。それゆえ、人類の未来にとって、地球上の富をいかに有効に分配するのかが重要になってきます。この地球上に、極端な貧困層が存在する限り、将来、世界の平和は訪れそうもありません。


(富の再分配)

2, 今の我々の世の中では、経済活動は私有財産制を基礎に営まれてきました。そのような社会で、我々一般人は、働き、努力し、財産を取得し、我々なりの方法で文化的で快適な生活を築き上げてきました。誰もそのような生活を否定することはできません。しかしながら、我々は、我々の経済社会は、産業革命後まだ200年ほどしか経っていないことを考えるべきです。産業革命に至るまでの何千年という間、社会的な富は、必ずしも私有財産制に基づくものではありませんでした。その当時、国家や地域的な政治組織では、人々の安定した生活のために、富を集積し、再分配するシステムが考えられていました。
 今日、技術の進歩によって、昔とは比較にならないほどの富が集積されています。しかし。これらの富は、世界中の深刻な貧富の差を解消するほど、十分には再分配されていません。それゆえ、我々は、 将来に向かって、少しでもこの世界中の貧富の差を解消するのに資するような国際組織について考えていく必要があります。

(国連の改革と市民運動)
3, 我々は、nationとcountryを区別する必要があります。nationは、政治的、経済的な独立性を維持するための権力組織です。一方、countryは、同一の民族や言語によって歴史的な文化が維持されてきたという考えに基づいた領域を意味します。 nationは、時間とともに変化します。しかし、countryは、世界の文化的多様性として存在し続けます。今や、政治的、経済的独立体としてのnationは、歴史的にその存在意義が問われているのです。我々が今まで述べてきた世界規模での危機的な状況を打開するためには、nationという国家権力同士の調整は 、もはや限界に達しています。これからは、国家権力同士の枠組みを乗り越えた世界組織が要請されるようになっています。
 そこで、我々は、現在の国連の改革や、新たな世界組織を形成するために 何らかの国際組織に関わっている政治家たちに働きかけなければなりません。同時に、これから時間はかかるにしても、国家権力の枠組みを超えて、簡素な生活を送ろうとしている市民たちに、我々の考えを広く提起していく必要があります。また、ガンジーがしばしば語ったように、富めるものは、貧しい人々の信頼に応える存在でなければなりません。


(地球という惑星の守護者としての我々)

4, 我々は地球という惑星の守護者であり、地球を維持していく責任があります。さらに我々は、我々自身の体と精神の守護者でもあります。我々は自分自身に真実でなければなりません。真実であるということは、精神的であるということ、すなわち、我々自身だけではなく、他者や我々の周りのすべてのもの、動物や植物や、地球上のあらゆるものの存在を畏敬する中で、我々の人格を築き上げていくということを意味します。

 

(インターネトによるメッセージの広がり)

5, 我々は、あらゆる種類の情報源から必要な情報を手に入れることができる情報社会で生活しています。何が起きているかを知り、情報を正しく把握するために情報源を選ぶのは我々次第なのです。それゆえ、もはや、世界で起きていることは、何も知らないというふりをすることはできません。  

 一方、広範囲な伝達手段を使っての、我々の文化的な活動は、我々のメッセージを広げるのに効果的です。もちろん我々4人は、小さな人間ですし、今日達成していることはまだ極めて小さいものです。我々は、文章や映像によるインターネットメディアを通じて、ささやかな手段であっても、できるだけ広い地域に、非政治的な形で我々のメッセージを広めていく必要があります。


   III 国連はいかにあるべきか

(国連における拒否権の存在)

1,国連の目的は本来、世界中の貧富の差を解消することによって、平和な生活をこの地球上にもたらすことです。ところが現実には、 アメリカや日本、ドイツのような富める国と飢えと極貧に苦しむルワンダ、エチオピア、スーダンなどのアフリカ諸国などの貧しい国との極端な格差が目につきます。第一次世界大戦後、国際連盟が発足し、第二次世界大戦後、国際連合(国連)が誕生しました。国際連盟は、無残にも崩壊し、現在の国連も同じような道を辿ろうとしています。このような状況は、一部の常任理事国が持つ拒否権がなくならない限り変わりません。

(拒否権のない新たな常任理事会)
2, それゆえ、我々は、国連の現在の機能を見直し改善していかなければなりません。そのような改革は、拒否権を持つ常任理事国が認めないかもしれません。しかしながら、常任理事会の改革は、国連の多くの参加国の重要な課題の一つです。当面、我々は、拒否権の存在しない常任理事会の可能性を検討していかなければならないと思います。
 その際、拒否権のない常任委員会のメンバーは、世界中の国々から平等に選ばれるべきです。そこで、それらの国は、テロリズムや侵略的な領土拡大、核兵器の廃絶、さらには、これらの課題を解消するための国連軍の機能的な強化について議論していく必要があります。

(貧困の解消と持続可能な発展)
3, 我々は、世界中の貧困の撲滅と環境保護のために2000年に国連で採択された「ミレニアム開発目標」や、同じく貧困の解消や持続可能な雇用と経済発展を目指して2015年に国連で採択された「持続可能な開発目標」を尊重すべきです。しかしながら、これらの目標は、現在の国連によっては、必ずしも効果的に実現されてはいません。
 我々は、国連の主要機関の一つである
経済社会理事会が、これらの目標の実現に主要な役割をこれまで以上に果たすべきだと思います。特にこの組織は、富の再分配を世界中で効果的に行うために、低開発地域への富の分配とその効果を厳密に評価しなければなりません。
 そのような評価の中で、国連は、地域の人々が、農業のような地域開発や地域の雇用に関して独立して生活していけるように、注意を払わなければなりません。

(全ての大量破壊兵器の撲滅)
4, 新たな常任理事会のもとで、これまで製造された全ての大量破壊兵器は破棄されなければなりません。また、大量破壊兵器や戦闘機、軍艦などの新たな
製造も、どのような国であろうとも禁止されなければなりません。大小に関わらず、どんな種類の兵器であっても他の国に売ることは許されません。テロへの道はこのような売買から始まります。核関連施設の製造もすぐにやめるべきです。とにかく、武器、戦闘機、駆逐艦などの製造や販売はやめなければなりません。

(世界中の健康問題の相互扶助の促進)
5, 世界保健機構の努力にも関わらず、世界の健康問題は、十分対応されていません。強大で豊かな国々は、彼らの国で製造された薬を売り込む以外には、貧しい国の健康問題に積極的に取り組もうとはしません。健康に関する教育についてもまだ初期の段階です。国連は、ここに積極的に介入しなければなりません。

 

 Ⅳ 来るべき世代のための連合世界

(それぞれの国家から一つの連合国へ)
1, 上述したような国連改革が進んだのちに、次のステップとして、我々は、将来の統合された形での国家を模索しなければなりません。そのような将来の国家群の姿を描くことなしには、我々は、現在の国連の改革でさえも実現できないでしょう。
 それぞれの国の国境は他の国によって尊重されるべきです。同じように、それぞれの国の民族と宗教も尊重されなければなりません。しかしながら、もし国連の機能が上述したように効果的に実現されるならば。将来、それぞれの国の国境は、これまで独立した権力を持っていた国家としての意味を徐々に失っていくでしょう。
 その時、国連は、世界の唯一の統治権を持つべきです。それこそ、全ての民族の共通の仲間意識として、真の連合世界と呼べるものになるでしょう。核兵器や大量破壊兵器などは、テロや、国際紛争、内戦などにずっと使用されてきました。しかし、そのような兵器もこの段階では完全になくなるでしょう。

(市民連合と国連の新たな組織)
2, 新しい国連総会は、世界議会にならなければなりません。この段階での国連総会のメンバーは、もはやそれぞれの国の代表ではなく、市民連合の代表になるでしょう。市民連合とは、都市連合や地方連合、文化組織の連合などが考えられます。これらの組織は国家を乗り越えた組織ですが、あくまでもそれぞれの国のエリアを基準に選ばれることになります。そして我々は、安全保障理事会や経済社会理事会など様々な組織によって基礎づけられた政治統合体を築き上げなければなりません。その政治統合体の本部は、5大陸の中でも、最も開発の遅れたアフリカの国、例えば、エチアピア、スーダン、ルワンダ、チャドなどに設置されなければなりません。今までのようにそれがニューヨークであってはなりません。

 (世界の単一通貨としてのUNO)
3, それぞれの国家の独立した経済活動が意味をなさなくなれば、それぞれの国の通貨は消滅し、世界で唯一の通貨、国際連合の通貨が世界中に供給されるでしょう。その通貨は、UNOと名付けられても良いかもしれません。UNOは、世界の実体経済を反映します。何故ならば、この通貨は、実体経済にそぐわない虚偽の価値を生む個人的な投機には使用されないからです。したがって、この通貨は、世界の富の効果的な再分配に寄与します。


(共通言語としてのエスペラントとサンスクリット)
4, 将来、それぞれの国家が独立した権力としては消滅し、主に民族と言語に基づいた国(country)としての境界は残ることでしょう。そこでは、それぞれの国や民族の文化を尊重する共通の言語が必要になることでしょう。エスペラントは世界共通の言語として、1887年にザメンホフによって考えられました。エスペラントを話す人々は、特定の、力を持った言語が、世界を支配するという事実に反対します。彼らは、それぞれの民族の言語をそれがどんなに小さくとも価値ある文化として尊重し、エスペラントが民族間の平等で文化的な交流の架け橋となることを目指しています。彼らは彼らのそのような行動が、世界平和に貢献すると確信しています。したがって、将来、英語を話す国も含めて、小学校の生徒は、エスペラント語を学ぶべきだと思います。その文法は、世界中の人々が理解するのに、十分わかりやすく、とても簡単です。
 また、サンスクリットも同様に普及させるべきです。それはよく成文化されており、古代の優れた思想として、世代から世代へと受け継がれてきた、普遍的な言語です。
サンスクリットは、それぞれ異なった文化の間の理解に寄与するような考え方を発展させるのに役立ちます。
 ユネスコは、国(country)同士の相互理解や古代からの優れた思想の普及のためにも、これら二つの言語の普及を図るべきです。



 Ⅴ 様々な困難にあっても灯され続ける我々の希望
  

 (一つの世界連合を目指して)
1, これまで述べてきたような我々の提言を実現するためには、現時点の課題であれ、将来の課題であれ、様々な難題が山積しています。それぞれの国家は、経済のみならず、軍事面でも覇権を得ようと、昔から互いに争っています。そして人々は彼らのアイデンティティーをこの国家に見出しているのです。それゆえ、国家がその権力を一つの世界連合にゆだねることは極めて困難です。しかしながら、今日の世界の危機的な状況を見て、今日の国家間の争いは、理想的な世界国家の樹立なしには終結しないと考える人々が徐々に増えてくることでしょう。
 また、人間性豊かな地域社会のノウハウは、今後グローバルレベルでの人々の結びつきに役出つでしょうし、そのノウハウは、より効率的なレベルで生じてくるでしょう。

 そして、我々の世界は、地球と呼ばれる惑星に統合され、単一国家が保持していた全てのカテゴリーを全ての人々のために統治する世界となることでしょう。それこそ、究極的に真のグローバリゼーションと呼ばれるものになるでしょう。

 (人類の新たな段階)
2, 資本主義による大衆消費社会が全世界に広がるという、現在のグローバリズムの進展によって、我々の生活は、多忙でせわしない競争社会に陥っています。こうした中で、ある人々は、喧騒の巨大都市よりも、シンプルで小さな相互扶助がまだ残っている地域社会を求めるようになります。彼らは、国家同士の際限のない権力争いから遠ざかった簡素で地味な生活を送りたいと望みます。そして彼らの要望や声が大きくなればなるほど、我々人類は新たな段階に立ち入ることができるようになるのかもしれません。
 そこでは、世界の大きな変化は、お互いのより良い理解のための交流や偏見のない文化の推進と同様に、倫理や宗教の分野での教育によって成し遂げられていくでしょう。

 (より良い世界のための小さな提案)
3, 我々の提言は、まだ目新しく、その考え方は、あまりにも革新的なので、人々は、全てそれらをゴミクズのように投げ捨てるかもしれません。そのようなことが最初に起こると思います。数百年にわたってその栄華を楽しんだ国家権力を、現状から取り除くのは、ほとんど不可能です。しかし、その後、深く考え込んだ、幾らかの人々は、考え方を変えようとするでしょう。また、国連の指導者たちの中には、このような提言の考え方を広めるべきだと思うかもしれません。そして他の政治的指導者たちにこの提言の全体の構想を見せて、それがよりよき世界にとって意義あるものであり、世界規模の組織や新たな国連にとって新たな意味をもたらすものであることを確信させるかもしれません。それは一度には起こらないでしょう。しかし最初は、部分的に、そして多分少しずつ変化した形で現れるでしょう。
 我々はそのような変化を信じています。そして人類の明るい未来に向かって着実な活動を続けていきたいと思います。多くを知らないまま、完全な破壊に直面していくかもしれないこの惑星、地球にあっても、永遠の平和を告げるために。


 チダムバレーサ・アイアー

 大木邦夫

 マリア・メンデス

 マリア・ラムヤ

                         2018年8月1日

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